「約束」前編










「本日付で配属となりました。ジャン=ハボック准尉です。」
目の前で綺麗に敬礼する若い男にロイは目を見開いた。
蘇てくるのは遠い遠い幸せだったころの記憶。幼い自分の手にいつも縋り付いてきた更に小さな幼い手。
絶対に離さないと決めていたはずだったその手は、いとも簡単にロイの手をすり抜けてシャボン玉のように消えてしまった。
もう叶わないといつしか胸の奥深くにしまい込んだ1つの〝約束〟が、どこからか浮上してくる音をロイははっきりと聞いた。





「中佐~。仕事してくださいよ!」
珍しく自分の執務室から逃げ出すこともせずに書類とにらめっこをしていた身のロイとしては、聞き捨てならないセリフだとその発言者に視線を流した。
「ハボック准尉。私が仕事をしていないように見えるかい?」
セリフ回しは穏やかだがその声には今までの書類との格闘に対する鬱憤が詰め込まれているようだった。
「そんなことはないですが、これ…。」
そう言って差し出されたのは2日程前に提出した1枚の書類だった。ただそれは、ここ、東方司令部の娯楽の為にあるようなプロフィールを作成するためのアンケートで、はっきり言って仕事じゃない。
無言を貫き、これ以上は書くことがないとばかりにロイはそのアンケート用紙をもう一度ハボックへと差し戻した。
「…別にいいんすけどね。こんなに項目があるのに、あんた名前と歳だけとか。どんだけ秘密主義なんすか。」
何も新たに書き込むことのなかったロイのアンケートをあっさりと受け取りハボックが声をたてて笑う。
その笑顔が嬉しくて、眩しくて、ロイの顔にも自然と笑みが浮かんだ。
『お兄ちゃん』
ずっとずっと昔に聞いていた自分の呼称がふんわりと耳に蘇る。幼く甘い声。
『・・・約束だよ!僕を・・・してね。』
忘れていたというより、無理やり閉ざしておいた幸せな記憶。
目の前の男の顔を見上げる。屈託なく笑うその顔には充分その面影を残していて、胸がざわつき、思わず〝約束〟の二文字が口から零れ落ちそうになった。
「中佐?」
自分を見つめたまま固まってしまったロイの眼前でヒラヒラハボックが手を振る。
それに気づいたロイがハッとしたように目を何度か瞬くと、ハボックの瞳が優しく細められた。
「まあ、まだ提出期限までにはちょっと時間がありますので、書き足したいこと出来たら言って下さいね。」
じゃ、今度こそ本気で仕事して下さいと言いながらハボックがロイの執務室から出ていく。
いったい彼は何をしに来たのだろう?ロイは色々な意味でハボックにおちょくられた気分になって一つ大きく嘆息した。
「君は私を覚えていてくれてるのかい…?」





~~~・~~~・~~~



「お兄ちゃん、僕も行く!!」
そう言って瞳に涙をいっぱい溜めながらついてこようとする愛しき存在に背を屈め目線を合わせる。
「ジャン。お兄ちゃんは学校に行くだけだから寂しくないよ?ジャンがお母さんのお手伝いをキチンとしてたらすぐに帰ってくるよ?」
金色の頭を撫でながら微笑めば、
「本当?すぐ?」
涙一杯の瞳でまっすぐに見つめてくる。
「ああ、本当だよ。お兄ちゃん嘘吐いたことないだろう?」
「うん!ない。」
「それなら、ちゃんとお手伝いもすること。帰ってきたら一杯遊ぼうな。」
もう一度頭を撫で、小さくて柔らかい頬にキスを落とす。
きゃあぁぁと声をあげ、嬉しそうに小さな存在が笑う。そしてお返しとばかりに小さな小さな手で頬を挟んでキスをくれる。それが日常。毎日毎日繰り返される。
「行ってきます。」
「お兄ちゃん、行ってらっしゃい。早く帰ってきてね?」
「ああ、すぐ帰るよ。」



~~~・~~~・~~~





「ハボック少尉!!マスタング大佐がお呼びです。」
後ろからぜえぜえと息を切らしながら駆けて来た下級兵士を見つめる。
「了解。」
短く返事を返す間だけでは息を整えることは不可能だったらしいその姿に、大佐機嫌悪いのかな~と何となくハボックは思った。
本当はしばらく事務作業に追われていて、鈍りぎみだった身体を動かそうと練兵場へと向かっていたのだが、その体をクルリと方向転換させる。
歩を進める前に後ろ頭をガリガリとかくと、一つ大きく深呼吸した。
「よし!」
大きく一歩を踏み出せばそこからの足取りにもう迷いはない。


「大佐~。入りますよ~。」
一応ノックをしながらの台詞ではある。しかし仮にも上司への態度とは思い難い。しかしこれがハボックの日常だった。
「お呼びのようで?何すか?」
「・・・・・。」
「大佐?」
無言のロイにやっぱり機嫌悪いんだな~なんてハボックが思っているとは考えもせず、ロイは全く違うことを考えていた。
ハボックと職場で再会を果たして一年。その一年の間にお互いに1つずつ階級が上がった。
普通なら階級が上がればそれなりに態度も落ち着いてきていいような気がするのに、目の前に立つ男の態度は日に日に大きくなっているような気がする。
『・・・絶対だよ!約束ね!』
ロイの中で繰り返す幼き声。その声と目の前に立つ男とを照らし合わせる。
「あんなに可愛かったのに…。」
「はい?」
ロイの呟きは聞こえなかったようで、ハボックがキョトンと首を傾げた。
記憶の中の存在と現在の彼を見比べていたためハボックを見つめていたロイは、そんなハボックを見てしまった。瞬間〝可愛い〟と思ってしまい一気に鼓動が跳ね上がる。
なんてことはない。変わっていないのだ。
大きくなった身体。低くなった声。だけど面影を残すどこかあどけない仕草。
「大佐?どうしました?」
「あ?…いやっ、何でもない。ああ、用件だが・・・・・」
ハボックを呼んだ本当の理由、仕事の話をしている間もロイはドキドキと力強く脈打つ自分の鼓動を持て余していた。
幼き日に交わした〝約束〟を自分ははっきりと覚えている。いや思い出している。
「ハボック少尉…。」
そしてその約束を果たしたいと思っている自分に気付いてしまったのだ。
『約束だ。君が・・・・・』









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(2014/04/17)




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